メジャーリーグでプレーした日本人選手にまつわる様々な記録・トリビアをご紹介します。
村上雅則投手
1964年(当時20歳)、南海ホークスからサンフランシスコ・ジャイアンツに野球留学で派遣される。当初は傘下のマイナーでプレイしていたが、途中でメジャー昇格。アジア人として初めてMLBで登板し、勝利をあげた(アジア人初の勝利投手)。また、初セーブも記録。
尚、ジャイアンツはナショナル・リーグであるため、アメリカン・リーグ最初の日本人選手はマック鈴木投手である。
イチロー外野手、新庄剛志外野手
2001年、両外野手はMLBに移籍。イチロー外野手はオリックス・ブルーウェーブ⇒シアトル・マリナーズ、新庄外野手は阪神タイガース⇒ニューヨーク・メッツ。
イチロー外野手 vs 長谷川滋利投手
2人は同リーグ・同地区の球団に所属したため、イチロー外野手移籍初年度の2001年4月13日のマリナーズvsエンゼルスで日本人初対決が実現。ちなみに2人はオリックス時代の先輩・後輩である。
イチロー外野手
今では日本のほとんどの球団が認めており、多くの選手が利用しているポスティングシステムですが、イチロー外野手が日本人初となりました。ちなみに落札額は約1,312万ドル(約15億円)。
長谷川滋利投手
1997年、NPB⇒MLBへ初となる金銭トレードが成立。長谷川投手はアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)に移籍。
伊良部秀輝投手
伊良部投手は当初からニューヨーク・ヤンキース入りを強く希望していたが、ロッテは提携先のサンディエゴ・パドレスとの交換トレードを成立。しかし伊良部投手はパドレス入りを拒否したため、パドレスはヤンキースとの交換トレードを成立。強引にも三角トレードという形でヤンキース入りを果たした。
吉井理人投手
ヤクルトスワローズからFA権を行使した吉井投手はニューヨーク・メッツに入団。 NPB⇒MLBへ初となる FA移籍が成立した。
2017年
1995年に野茂投手がMLBに移籍して以降、毎年必ず日本人選手がMLBデビューを果たしていましたが、2017年は0人に。1995年から2006年まで続いていた記録が22年で途切れました。
ちなみに、移籍が最も多かったのは2007年と2008年にそれぞれ5名ずつ(松坂投手、桑田投手、黒田投手、岩村内野手、福留外野手ら合計10名)である。(2020年1月現在)
(ほとんど)野茂英雄投手
通算記録の多くはイチロー外野手が保持しているが、「初〇〇」は先に渡米した選手に一日の長がある。そのため、犠打、犠飛、得点、打点、二塁打、三塁打、四球など、打撃記録のほとんどは野茂投手が記録(アジア人初)。「初安打」だけは村上雅則投手が記録した。
初本塁打も野茂投手が1998年4月28日(ミルウォーキー・ブリュワーズ戦)に記録。
大谷翔平選手
2019年6月13日のタンパベイ・レイズ戦の4打席目(3ラン本塁打⇒三塁打⇒二塁打⇒単打)で達成した。
野茂英雄投手
野茂英雄投手が1996年9月17日に達成。対戦相手はコロラド・ロッキーズで、球場は「打者天国」として有名なクアーズ・フィールドである。もちろんアジア人としても初めてのノーヒッターとなった。
2001年4月4日のボルティモア・オリオールズ戦では、自身2度目のノーヒッターを達成。1度目はドジャース(ナショナル・リーグ)で、2度目はレッドソックス(アメリカン・リーグ)在籍時であり、両リーグでのノーヒッター達成はMLB史上4人目(過去3人は、サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアン)となった。
日本人による完全試合は未だに達成されていないが(2020年1月現在)、ダルビッシュ有投手が2013年4月2日のヒューストン・アストロズ戦で9回2死まで26人の打者を完璧に封じた。27人目のマーウィン・ゴンザレス選手にセンター前ヒットを打たれ、記録を逃している。
野茂英雄投手
1995年の移籍初年度に最多奪三振と新人王を獲得(どちらもアジア人初)。投手月間MVPにも輝いており、サイヤング賞の投票は4位に入った。
イチロー外野手
アジア人初となる最多安打、首位打者、盗塁王、シーズンMVP、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などの主要タイトルを移籍初年度に獲得。新人王は野茂投手、佐々木主浩投手に次いで3人目。イチロー外野手については語るまでもなく、数々のMLB記録を保持しており、「アジア人初の殿堂入り」も期待されている。(2019年に引退したため、2024年に有資格者となる)
井口資仁内野手
2018年、MLBを経験した選手として初めて、NPB(千葉ロッテマリーンズ)の監督となった。
野茂英雄投手
1995年7月11日、ルーキーの野茂投手は日本人で初めてオールスターゲームに選出&先発を務め、2回を無失点に抑えた。
イチロー外野手
2007年7月11日、サンフランシスコのAT&Tパークにて行われたオールスターゲームにて3打数3安打2打点、しかも3打席目はオールスター史上初のランニングホームランを放ち、MVPを獲得。ちなみにこの年のオールスターでイチロー外野手は7年連続出場となった。
新庄剛志外野手
MLB移籍2年目の2002年、サンフランシスコ・ジャイアンツがワールドシリーズに進出し、アナハイム・エンゼルスとの第1戦に9番・指名打者で出場。初安打も放っている。
松井秀喜外野手
2003年、ニューヨーク・ヤンキースがワールドシリーズに進出し、フロリダ・マーリンズとの第2戦で日本人初本塁打を放った。(その前におこなわれているディビジョンシリーズでは、日本人のポストシーズン初本塁打を記録)
井口資仁内野手
2005年、井口内野手が所属するシカゴ・ホワイトソックスがワールドチャンピオンに輝く。ワールドシリーズ制覇をした試合でプレーをしていた最初の日本人選手となった。しかし、途中交代をしていたため、試合が決まった瞬間はベンチから見ていた。
※伊良部秀輝投手はヤンキース時代に2度チャンピオンリングを手にしているが、いずれもワールドシリーズで登板していない。
※高津臣吾投手は2005年途中までホワイトソックスに所属していたがメッツに移籍したため、ワールドシリーズの出場は無し。しかし、同年のレギュラーシーズンでチームに貢献したため、チャンピオンリングが贈られている。
田口壮外野手
2006年、田口外野手が所属するセントルイス・カージナルスがワールドチャンピオンに輝く。田口外野手は最後まで守備についていたため、ワールドシリーズ制覇が決まった瞬間、プレーしていた最初の日本人選手となった。
松井秀喜外野手
松井外野手のヤンキース最終年である2009年。この年で退団が濃厚であったが、フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは13打数8安打3本塁打8打点という輝かしい成績を残し、ワールドシリーズMVP(アジア人初)を獲得。また、第6戦で記録した「6打点」はワールドシリーズ・タイ記録である。